2010年11月16日

(344)ゴッホ展

ゴッホ展を観に行ったゴッホ展.jpg

・・・ゴッホ展が       
   もうじき終ります


10月1日〜12月20日(月)
国立新美術館

開館時間 午前10時〜午後6時
     金曜日は午後8時まで 入場は閉館30分前まで
休館日  毎週火曜日  11月23日は開館し翌24日が休館です

ゴッホのことは中学の時「炎の人 ゴッホ」と教わった記憶がある。

27歳で画家になる志の第一歩を踏み出してから、独学を主体としての成長ぶりは目を見張るものがあります。油絵800点、水彩・素描・スケッチなど1000点はわずか10年の間に描かれている。

その中で、傑作とされる作品のほとんどは、病と闘う晩年の約2年半前の1888年2月 (アルルの始め) から1890年7月 (没) に制作されたものです。
(絵と難しいことは資料より)

ぼくは100年後の人々にも
生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい

1890年6月5日付のゴッホの手紙より

灰色のフェルト帽の自画像 1887年 
ゴッホ自画像.jpg

ゴッホは23点の自画像を描いている。鏡を見ながら自分自身がどう見えるか背景にも工夫をしたと云う。
(マネキンを雇えないから自画像を描いたと言う説もある)

ひまわり 1888年
ひまわり.jpg
 
この「15本のひまわり」はここには展示されていません。東郷青児美術館に展示されています。1987年の落札価格58億円は世界を驚かせた。

贋作との疑惑についてはゴッホ美術館が否定している。「花瓶に挿されたひまわり」は7点あり6点が現存する。

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ゴッホ展を観ながら ゴッホの生涯 を(1853-1890)

1853年3月30日、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、牧師テオドルス・ヴァン・ゴッホを父とし、アンナを母として、オランダに生まれた。27歳で画家を志し貧困と心の病で37歳の時に波乱の人生を自ら絶った。

1857年5月、次男テオドルス(通称テオ)誕生。テオは生涯にわたって兄ゴッホに精神的、物質的支援を与えていたと言う。

ゴッホを看取った半年後にテオも亡くなった。テオの奥さんがゴッホの展覧会を数度に渡って開催したのが、認められる切っ掛けになったそうだけど……

ゴッホが影響をうけた画家 ほとんど独学で絵を学んだゴッホだが、最大の影響を受けたのは印象派のミレーではないか?

ミレーを尊敬し農民画家を目指していたゴッホは、死の直前まで尊敬するミレーが描いた農民の絵をなぞっていた。

以外だったのは日本の浮世絵を多数収集して、それらを絵具で模写していた。ゴッホの「種蒔く人」にはミレーと浮世絵の影響があったとも云われている。

じゃが芋を食べる人々  種蒔く人 種蒔く人.jpg
ジャガ芋を食べる人々.png
1885年                       1888年
じゃが芋を食べる人々は何枚も描いたので、左右が反対の絵がある。 

アルルでのゴッホ 1888年2月からアルルに移り5月から「黄色い家」を借りて、「アルルの寝室」「ゴーギャンの椅子」「ひまわり」などを描いた。

ゴーギャンとの出会い 10月からはゴーギャンとの共同生活が始まったが、12月に起きた「耳切り事件」で共同生活は2ヶ月で終わりとなる。

アルルの寝室 1888年
アルルの寝室.jpg

狭くて質素なゴッホの部屋。展示場に実物大の部屋が造られていた。

ゴーギャンの椅子 1888年
ゴーギャンの椅子.jpg

ゴッホがゴーギャンを「黄色い家」での共同生活に呼ぶために用意した椅子。

耳切り事件が起きる前から、ゴッホには心の病が進行していて事件後に療養院に入院となるが、担当医の許可を得て絵を描きつづけることができた。

アイリス 1890年
アイリス.jpg

療養院を出たあとのゴッホ 1890年5月、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズに移り住み、短い期間に数多くの作品を制作した。

ここが大変気に入ったと弟のテオに手紙を書いて喜んでいる。しかし絵は売れずテオに頼る自分が足手まといになっているのではとも書いてある。

弟テオが結婚して子供もできテオ夫婦とのいさかいが多くなり、ゴッホは貧困と病に加えて心身ともに深刻な状態が増していった……

ゴッホの生前中に売れた絵は、1888年に描いた「赤い葡萄畑」と題した1枚だけだったと言う。400フラン。

赤い葡萄畑 1888年
赤い葡萄畑.jpg

赤い葡萄畑の絵を探して、ここに載せて紹介することができました。

1890年7月27日、テオへの手紙を書いていた……。
僕の絵に命をかけた…… 僕の理性は壊れてしまった……。ゴッホは銃で自らを撃ち、2日後テオに看取られながら息を引き取った。

僅か10年でこれだけの仕事を
   まさに 炎の人 ゴッホは 37歳だった


そしてその半年後、テオも亡くなります。
兄弟はオーヴェール=シュル=オワーズの墓地に今も並んで葬られています。

国立新美術館
国立新美術館内.jpg

ゴッホ展
没後120年 こうして私はゴッホになった

1月からは福岡会場 2月からは名古屋会場で開催されます


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11月5日の新聞記事に「ゴッホ展 20万人目」と云うのがあった。絵オンチの私は何万人目になるのかと、ゴッホの人気の高さをあらためて感じた。

作品の道のりが解りやすく展示されていて鑑賞が楽だった。しかし資料を調べていて思わず考え込む時もあった。
心の病かそれとも違う病気か?耳切り事件の真相は?自殺か他殺か?

ゴッホファンの皆様、文中に間違いがありましたらどうぞお許し下さい。

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2011年10月18日に追加記事を書きました。

ロンドンで「ゴッホは事故死」の新説が出版され、話題を呼びそうです。

No497 ゴッホは事故死?
http://t-torisan.seesaa.net/article/230915054.html?1318945669



posted by 鳥さん at 14:00| Comment(0) | 東京ぶらぶら日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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